2021年12月23日
寒さと矜持 第395回圓橘の会 2021/12/18
●三遊亭萬丸『弥次郎』
立川こしら師主宰の『ご当地落語』にまつわるエピソードがまくら。何しろ前日の話なのでちょっとまとまってなかった。
でも噺の方は絶好調。こういう噺が好きなんだろうなあと演じる嬉しさが伝わってくる。楽しい。
●三遊亭圓橘『紫檀楼古木』
「今日は二席、ちょっとついているような」そんなことは構わないのですよ。僕の好きなこの噺を、たっぷり演っていただいて嬉しいことこの上ない。
蜀山人のエピソードも、離縁を言われて妻に狂歌を渡すシーンもいいけど、なんといっても羅宇屋・古木と御新造との狂歌のやり取りが素晴らしい。
粋な二人のやりとりに行ったり来たりする野暮な女中の人物造形がもうドンピシャで、噺の味わいが更に深くなる。
古木の墓がある幽遠山玄信寺は、この会場のすぐ近くで「でもお参りはしてこなかった」とのこと。
仲入り
●三遊亭圓橘『貧の意地』(太宰治『新釈諸国噺』より)
僕の大好きな三遊亭圓橘・文芸落語シリーズ。今回は太宰治。元は井原西鶴『諸国はなし 大晦日おほつごもりはあはぬ算用』極貧の浪人者・原田内助、大晦日の物語。
妻による必死の金策で年を越せることになった原田が、仲間を呼んで宴を催す。彼らの着物と、これを淡々と描写する圓橘師の語り口が絶妙で、貧しさを楽しむかのようなユーモアは、なんとなく『和歌三神』を思わせる。
しかしそこは武家。ここから話は急展開し『柳田格之進』のような、命を捨てでも矜持を貫こうとする気高さがぶつかり合い、噺は緊迫する、しかし最後にはほっとする結末があり、わずかに滑稽味も含んだ落語らしいサゲとなる。
なんだろう、この無駄の無さは。簡潔して満ち足りている。
元は西鶴なのに、どこかO・ヘンリーのような鮮やかさがある。
前述の通り圓橘師は「この二席はつくかも」とこぼしていたが、古木のあとにこの噺が来るのは、つくというより「揃えた」感が強い。相乗効果で味わいが深く感じられた。
いまの貧困よりもずっと過酷な貧しさのなかで生きていた江戸の人たちに思いを寄せる。そんな、年の瀬にふさわしい会だった。
寒さの中でも、矜持を持たなければ。
では、古木にちなんで狂歌など。
貧すれど 意地ある人に 気品あり
ピンと背筋を 正す寒空
…なんだかわかりませんな。