2019年08月22日
落語についてのメモ コミュニケーションはエネルギーのやりとり
なるほど、謎が一つ解けたわ。
非常に面白い記事。
文菊 ああ、敢えて言うなら、「間を取る」ことがそうかもしれませんね。高座で噺家がやっているのは、お客さんとのエネルギーのやりとりなんです。野村 お客さんを話に引き込んだり、あるいは離したりということですか?文菊 ええ、自分とお客さんの持っているエネルギーがどのあたりにあるのかという感覚ですね。
前座(寄席で一番前に高座に上がり、10分ほどの落語をする噺家の階級)の頃なんてのは、噺家は自分をただ「音声を発する物体」としか認識できないわけですよ。つまり自分の発しているエネルギーしか分からない。
でも二ツ目(寄席で二番目に高座へ上がる階級)になると、お客さんのエネルギーを感じとっていく。すると最初はお客さんにいろんな「投げかけ」をして噺に引き込もうとするわけですね。どんどん「押し」て笑わせるようなことです。
それで成功する人もいるんですが、なかなか押すだけではうまくいかない。試行錯誤しているうちに「間」を意識して、高座のこちら側へエネルギーを引き寄せるコツが分かるんです。それが無意識にできていくことが「間が取れる」ということですね。
以前から僕は「落語は、演者が提供し観客が楽しむ"コンテンツ"でありながら、演者と観客との"コミュニケーション"でもある」と説明していたのだが、その"コミュニケーション"の実態について上手く説明できていなかった。
そうか「エネルギーのやりとり」というワードはしっくり来る。高座からエネルギーを送り、客のエネルギーを受け取りながら、空間を制御していくわけだ。
(実は「観客同士のエネルギーのやり取り」もけっこう重要だったりする。負のエネルギーを持ち込む客がいると落語は壊れる。携帯電話はスイッチを切りましょう)
この「まくらでさらけ出し、間を取る」という話も面白い。
さらに「日常と高座を分けて考えない」。
落語家として生きるということは、自らの人生そのものを表現する行為なのだ。
というわけで、そんなに長くない文章ですのでぜひご一読を。
文菊師から貴重な話を引っ張り出した野村亮太先生は、立川こはるさんとのコラボでこの番組を制作された方。
そうか「エネルギーのやりとり」というワードはしっくり来る。高座からエネルギーを送り、客のエネルギーを受け取りながら、空間を制御していくわけだ。
(実は「観客同士のエネルギーのやり取り」もけっこう重要だったりする。負のエネルギーを持ち込む客がいると落語は壊れる。携帯電話はスイッチを切りましょう)
この「まくらでさらけ出し、間を取る」という話も面白い。
「印象の柵」を取り払い、コミュニケーションの成立を促す、まくらの技術。(文菊)自分をよく知らないと、人にどう見られるかというのは分からないもんですからね。自分がどんな人間かを俯瞰的に自覚して、それを高座の上で、お客さんに洒落としてさらけ出す。私の場合は、この見た目でそのまましゃべりだすと、なんだかこう、客席に緊張感を与えてしまうところがある。気取った雰囲気っていうんですか。この印象をなんとかしたいんです。
(中略)でもね、私なんかはほら、ご覧の通り、落語がやりにくくてしょうがないんですよ。――と、お客さんにマクラでさらけだすわけです。するとお客さんも「おや」とくる。私の「印象の柵」を私の方から取り除いてしまうわけです。するとお客さんは流動的になって、こちらの噺に入って来やすくなる。間が取りやすくなるわけですね。
さらに「日常と高座を分けて考えない」。
(文菊) 噺家は日常と高座を分けて考えていないということです。噺家というのは、決まった芸を型として見せているわけではありませんから、噺家が普段の生活、人生で考えていること、感じていることがそのまま高座に出るこれも深い。そして納得できる。
落語家として生きるということは、自らの人生そのものを表現する行為なのだ。
というわけで、そんなに長くない文章ですのでぜひご一読を。
文菊師から貴重な話を引っ張り出した野村亮太先生は、立川こはるさんとのコラボでこの番組を制作された方。