桂文我師の『落語「通」入門』を再読していて、面白かったことが。
江戸落語中興の祖・初代烏亭焉馬。
相生町の大工の倅として生まれた焉馬は、五代目市川團十郎の贔屓で、のちに義兄弟にもなる。
相生町を流れている竪川という川にちなんで、"立川談州楼(談州樓)焉馬"となる。
これが「立川」の始まり、と考えると。
立川談志の弟子が
談十郎(とがめられて談十 のちの土橋亭里う馬師)・左談次・談四楼
と歌舞伎の市川宗家(成田屋)にちなんだものになっているのも、焉馬からの流れなのだなあと。
談志師には焉馬を、小三治師は談州楼燕枝を継いで欲しかったなあと思っている人はいるんだろうね、たぶん。