2012年12月20日
師匠は、どこまでが師匠なのか『談志が死んだ』(立川談四楼:著)
昔昔亭桃太郎師匠はこんなことをおっしゃっているが、さてさて。ある雑誌で、数人の落語家が自分の師匠を語るというのを見て、あきれかえった。ベタぼめである。そんなバカなと思った。落語家は、師匠と弟子が同じ土俵に立ッているのである。仲が悪いのが当たり前である。「師匠の全部が好きだ」なんていう弟子は、おかまだ。師匠が弟子を嫌い、弟子が師匠を嫌うというのが、当たり前の世界である。芸界すべてがそうだ。先代市川猿之助も、「師匠が死んだ時ホッとした」とテレビで言っていた。そして出版社も、こういう企画を出すのを止めてもらいたい。気持ちが悪くなる。
まあ師匠は弟子に嫉妬するのでありますが、その嫉妬に病がくっついてくると、噺は一気にややこしくなる。
書評の名手でもある談四楼師の著作にレビューめいたものを書くのはものすごく勇気がいるのだが、誰も書いていないみたいなので、暴走してしまいました。
へったくそな文章ですが。以下どうぞ。
★★★★★ 老いと死、老いた師 2012/12/19ああ、くそ、ひどい文章だ。でもなんか伝わるだろう。
By [4k]四家正紀
本を開くまで「師弟の絆、その葛藤」について語られる作品になるのであろう、と予想していた。甘かった。いや、別にそれは間違いではない。本作は『シャレのち曇り』『一回こっくり』から続く著者の『落語私小説』である。この本でしか読めない、面白い、そしてちょっと悲しい逸話に彩られている。しかし、それだけではない。家元・談志のカリスマぶり、暴君振りについてのエピソードは多く、これまでにも山ほど紹介されている。しかし、本作で公開される「破門未遂・一門解散未遂事件」は、今まで僕らが知り得た「暴君エピソード」とは大きく異なっている。居合わせた人たち全員が「何を激怒しているのか、まるでわからない」乱心振りは、カリスマ故の不条理な暴言とはとても思えない。大いに戸惑った主人公は、まず師弟としての筋を通すために、全くなんの手落ちもないにも関わらず、懸命の謝罪を繰り返す。しかしあるきっかけにより、あの暴言は師匠の正気から出たものでないことに気がつく。それは、老いて心の病を得た上での妄言であり、病が言わせたという意味では「師匠・談志の言葉」ではなかったのだ。また家元も完全に正気を失ったわけではなく、この件も一応の終着を得る。そして死の間際まで高座を務め、弟子たちとも「家元」として最後の別れをすることになる。それにしても、だ。危うく破門を免れた弟子にしてみたら、いくら病ゆえの言動とはいえ、この暴言、たまったものではない。病を得て正気を失った師は、師なのか?「あなた」は、どこまで「あなた」なのか?このテーマは恐ろしすぎる。カリスマとその弟子だけでなく、実は誰の身にも起こり得ることだからだ。そして、上記の主題に絡みつくように語られるのは、家元を心底尊敬し、懇願して芸名「立川小談志」を許されながら、その家元に嫌われ、立川流を去り、早くに世を去った喜久亭寿楽のこと。談志と寿楽の間にあったのは、あくまで師弟関係故の不条理であり、主題との対比および因果関係が非常に興味深い。というか、泣ける。可哀想で。まるでテレビカメラを回すように、著者の視線は、自分を含む人物一人一人を冷徹なまでの客観で捉える。しかしその裏には限りなき愛情が感じられて、しみじみと共感させられる。また、これはいつものことであるか、話芸の人らしいリズミカルな文体のおかけでとても読みやすい。しかし、そのテーマは重く、読み進めるうちに、息つく暇もなくずっしりと、何度も胸に突き刺さってくる。傑作である。立川流の落語家がいっぱい出てくるので、ご存じない方は、ときどき芸名で検索したりするとまた面白いと思う。余談だが、逝去のおよそ3年前だったろうか、Webサイトに掲載されていた家元のコメントをはっきり覚えている。「俺は談志にもう飽きた」談志に飽きた本人は、もはや談志ではない。「破門・一門解散暴言」暴言の主であり、心身の病を負いながら、なおも「談志」を背負って戦っていた、一人の老人だったのだ。抱いている俺は、誰だろう。
『シャレのち曇り』のなかにも「このままだと一門解散だ」と家元が暴れるシーンがあるが、ここはまるでチェ・ゲバラが同士をどやしつけるかのように、かっこいいのだ。
本作と比較するとびっくりするくらい。
革命家に、老いは、残酷だ。
立川談四楼『談志が死んだ(新潮社)』は『シャレのち曇り』が進化して熟成された一冊 | 立川キウイの小部屋