山元町

2014年03月02日


実は刷りだしを見ていたんだけど、本物を手にするとまた格別の感慨が。
万人が読むべき本と確信してお勧めしたい。
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2012年09月26日


僕がちょっとだけお手伝いをさせていただいた、宮城県山元町の被災写真修復プロジェクト思い出サルベージからのお知らせです。

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2012年08月05日


昨年5月にちょっと(1泊2日)だけ参加させていただいた写真修復ボランティア「思い出サルベージ・オンライン」の活動報告会に行ってきた。
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以下、個人的メモ。
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2012年02月05日


東日本大震災の被災地、宮城県・山元町で写真修復ボランティア「思い出サルベージ・オンライン」に参加してきた。昨年五月連休のことだ。僅か一泊二日の作業だったが、このブログの記事を見て後から参加していただいた方もいらしたようで、ここに改めて感謝申し上げます。

津波の泥水をかぶった写真を一枚でも多く修復してもとの持ち主に返そうというプロジェクト、残念ながら修復できなかった写真も多い。

中にはこんなアルバムもある。
被災した写真
写真の表面まで海水が浸入したせいで写真の表面が溶けて、判別できなくなってしまった写真。溶け出した乳剤が、まるで被災者がその感情を表現したアクションペインティングのようにも見えてしまう。 もちろんそんなことはない、ただ激しい波の中で、思い出が失われてしまっただけなのだ。

裏[4k]:宮城県・山元町で写真修復ボランティア(3)作業開始 
このような「失われた写真」を展示して「何かを見つけようとする」写真展が、このLOST&FOUND PROJECT。

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2011年07月05日


連休中に参加させていただいた宮城県・山元町の写真修復ボランティア『思い出サルベージアルバムオンライン』についてまとめられた動画です。


今回の東日本大震災による津波で泥水にさらされたのは家だけではありません。思い出が詰まったたくさんの写真も、泥をかぶってしまいました。
その写真から心をこめて泥を掃き、洗浄し複写し、誰のものかわからなくなってしまった写真を持ち主の手元に届ける。それを目的としたプロジェクトが「思い出サルベージ」です。

被害に遭った家などから回収された写真の総数は、実に20万枚。
少しでも多くの写真を、思い出を、山元町に残すために、協働のネットワークを広げて活動しています。

日本社会情報学会(JSIS-BJK)災害情報支援チーム 思い出サルベージアルバム・オンラインについて





ぜひご覧ください。

2011年05月15日


●今回は定員に達したようです。また次回も企画されているようです。追ってご連絡します。

僕が連休中に参加してきた「思い出サルベージ・オンライン・プロジェクト」ボランティアのお知らせですよ。
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この度の東日本大震災による津波で泥を被ったのは家だけではありません。思い出が詰まった一枚一枚にの写真も泥を泥をかぶってしまいました。その写真を、心をこめて泥を掃き、洗浄して複写し、今持ち主不明となっている写真を持ち主の手元に届ける、それを目的とした「思い出サルベージ」というボランティアがあります。

被災した写真は12万枚という膨大な枚数です。この12万枚を救うには、皆さんの、写真の愛好家・専門家のみなさんの助けが必要です。梅雨がきてしまうと被災写真の状態が悪化します。

そのため、梅雨前に、被災写真を救う必要があるのです。

ぜひ宮城県山元町で、写真洗浄・複写のボランティアをわれわれといっしょにやりませんか? 


そして、被災地支援として、山元ほっき飯、亘理ホルモンも堪能しましょう。

日程:5/21(土)〜5/22(日) 場所:山元町役場および周辺関連施設
募集人数:15名(先着順の予定)



詳しくはこちらまで!


●追記 こちらにも詳しい記事が
東日本大震災ボランティア大募集:宮城県山元町で写真洗浄・撮影(5月21日、22日) ([の] のまのしわざ)


前回のつづき。

作業場をあとに山元町役場に戻り、このプロジェクトのリーダー柴田邦臣先生(大妻女子大学 社会情報学部)と合流、お話をお伺いする。


役所の裏に、住民に避難を呼びかけているうちに津波に巻き込まれ、犠牲になった消防自動車が。
犠牲になった消防車

犠牲になった消防車

柴田先生は、この消防自動車が今回の震災を象徴していると仰る。

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前回の続き

廃校に戻り、再び写真修復の作業に入ろうとすると、そこに自衛隊の大きなトラックが登場。
山下第二小学校に補完されていた写真が、大量に運ばれてきた。
被災したアルバムを運び込む 被災したアルバムを運び込む 被災したアルバム 被災したアルバム

若い学生さんボランティアたちに混じって、かご一杯のアルバムを2階の部屋までかつぎ上げる。これが結構重い。
「おー肉体作業、ボランティアっぽい!」などと内心ふざけつつ、すぐに息が上がるだらしない中年。その姿を撮影する自衛隊広報の女性。別にかまいませんが、どこで使うのそれ。

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前回のつづき

翌日、起床して、皆さんに用意していただいた朝食をおいしく頂き、宿舎を出る。

仮設住宅の建築

仮設住宅が建設されている。

仮設住宅

仮設住宅というのは、ここまで完成された形で運ばれてくること知る。

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前回の続き。

この日の作業を終え、緊張感と絶望感と満足感とがぐちゃぐちゃになり、さらに自然とか災害とか行政とかボランティアとか家族とか妻とか子どもとか仲間とか、いろんなことに思いが飛び散ってまとまらない。疲労も来た。
 
まあ、そこは大人なので、表には出さず、チームのみなさんと夕食へ。

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m_shike at 02:51コメント(0)

2011年05月07日


前回の続き

写真の洗浄も、経験させてもらう。

被災したアルバムから抜き取った紙焼きの写真を、富士フイルムの方々から直接指導で伝授された方法で洗浄し、乾燥させ、可能な限り復元していく。

ぬるま湯をつくり、
ぬるま湯作り

プラスチックの衣装箱に入れて、写真を洗浄する。
写真洗浄


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被災地を見た後、いよいよボランティアに参加する。

今回、担当させていただいた作業は「写真の修復」。

仕事場は、とある廃校。

思い出サルベージアルバム・オンライン プロジェクト

ここには小学校に一時保管されていた大量のアルバムが運び込まれている。

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小学校でアルバムの集積を見せていただいたあと、クルマで被災地を見て回る。陸前浜街道と海岸線の間、田圃とイチゴ畑と住宅があった地域だ。

津波の被害

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2日間で、シャッターを切った回数はたぶん自分史上最高。

しかし撮影したのは写真ではなくて「写真の写真」つまり複写。

小学校

これはそういうボランティアの話。

訪問したのは仙台の南、宮城県亘理郡山元町。
製菓業界ではケーキ用の高級イチゴで有名だそうだが、正直、知名度は今一つの町だ。正直僕も今回初めて聞いた。
今回の震災では津波でひどい被害を受けて、面積の65%が被災地となり、全人口16,695人のうち631人が亡くなった。133人の安否がいまだ不明だという(4/17現在)。

被害の状況については、こちらを。
被災の様子( 『私達は災害臨時F M「りんごラジオ」です: りんごラジオのブログ』 )


この山元町で日本社会情報学会(JSIS-BJK)・災害情報支援チームが展開するプロジェクト『思い出サルベージアルバム・オンライン』。
今回、ニフティの田代さんが『みたいもん!』のいしたにさんにお声をかけたのをきっかけに、『のまのしわざ』のまさんと僕も参加させてもらうことになった。

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