2017年09月19日
扇三本重ねて見えてくる芸の重み 三扇会 一龍斎貞寿 真打昇進祝い 2017/08/12
見事な真打昇進披露でございました。
田辺いちか『秀吉と曽呂利新左エ門』
玉川太福・玉川みね子(曲師)『一龍斎貞寿物語』
林家たけ平『宗論』
柳家喬太郎『路地裏の伝説』
仲入り
たけ平・太福・貞寿・喬太郎『口上』
一龍斎貞寿『次郎長と伯山』
●田辺いちか『秀吉と曽呂利新左エ門』
前座さん。ちゃんと講談的にかっこいい。笑いも取れる。
●玉川太福・玉川みね子(曲師)『一龍斎貞寿物語』
いきなり本日のハイライト。
三遊亭朝橘師のときといい、今回と言い、どんだけ披露目に強いんだ太福さんは。
しかもみね子と合わせたのは当日だって。
「大変お世話になった先輩に出来ることは身体を使ことしかない」
いつもの新作のように、小さなところで笑いをしっかりと取り、いつもの古典のように大きく気持ちを揺さぶる。朗らかに、生真面目に芸の道を歩んできた貞寿先生の生き方がガツンと伝わってきて、これからも応援したいという気持ちになる。そしてちゃんと、めでたい。
「昭和48年生まれ」なんでこんなに受けるんですかね。
ともかく、二ツ目はいまのうちから太福さんにお願いしておいたほうがいい。披露目には太福。
●林家たけ平『宗論』
浅草から駆け付けたと。
若手真打で漫談っぽいまくらやらせるなら、たけ平さんがピカイチ。ダラダラ喋っているようでずーっと面白い。しかも万人受けする。でもドサっぽいべたべたした感じはない。ふつうにずっと楽しい。実は難しいこんな噺をさらっとやってのけちゃう。
●柳家喬太郎『路地裏の伝説』
まくらでちゃんと大暴れ。「披露目なのになに言ってんでしょうか」とあえて反省モードを見せたりするのもこの方の技。そこからもちろん新作(トリが古典だから)。言わずと知れたファンタジー喬太郎の名作ですが「発泡酒は発泡酒!」とか、「幸い私はちんちくりん」とか、線香上げながら悪態つくところのあたりが何度聴いてもひたすらおかしい。
仲入り
●たけ平・太福・貞寿・喬太郎『口上』
素晴らしい口上。
腹抱えて笑うところもちゃんとありながら、太福さんは国本武春の名前をしっかり出し、喬太郎師の優しさも全開。
やはり、泣いていた貞寿先生、司会たけ平師が顔を上げさせなかった優しさ。
●一龍斎貞寿『次郎長と伯山』
満を持しての貞寿先生の高座は、真打としての決意表明のような。
思うのですが、大衆芸能というのは、一人で作るものじゃない。
先達たちから引き継ぎ、同時代の芸人たちとして客との共同作業でこしらえ、磨かれ、伝えられるもの。
それにしても、ここまで他の芸人に「この人は講談が好き」って言われる人、そして愛される人は他にいるのだろうか。
客席にいるだけで幸せになれる、そんな披露目でした。
前座さん。ちゃんと講談的にかっこいい。笑いも取れる。
●玉川太福・玉川みね子(曲師)『一龍斎貞寿物語』
いきなり本日のハイライト。
三遊亭朝橘師のときといい、今回と言い、どんだけ披露目に強いんだ太福さんは。
しかもみね子と合わせたのは当日だって。
「大変お世話になった先輩に出来ることは身体を使ことしかない」
いつもの新作のように、小さなところで笑いをしっかりと取り、いつもの古典のように大きく気持ちを揺さぶる。朗らかに、生真面目に芸の道を歩んできた貞寿先生の生き方がガツンと伝わってきて、これからも応援したいという気持ちになる。そしてちゃんと、めでたい。
「昭和48年生まれ」なんでこんなに受けるんですかね。
ともかく、二ツ目はいまのうちから太福さんにお願いしておいたほうがいい。披露目には太福。
●林家たけ平『宗論』
浅草から駆け付けたと。
若手真打で漫談っぽいまくらやらせるなら、たけ平さんがピカイチ。ダラダラ喋っているようでずーっと面白い。しかも万人受けする。でもドサっぽいべたべたした感じはない。ふつうにずっと楽しい。実は難しいこんな噺をさらっとやってのけちゃう。
●柳家喬太郎『路地裏の伝説』
まくらでちゃんと大暴れ。「披露目なのになに言ってんでしょうか」とあえて反省モードを見せたりするのもこの方の技。そこからもちろん新作(トリが古典だから)。言わずと知れたファンタジー喬太郎の名作ですが「発泡酒は発泡酒!」とか、「幸い私はちんちくりん」とか、線香上げながら悪態つくところのあたりが何度聴いてもひたすらおかしい。
仲入り
●たけ平・太福・貞寿・喬太郎『口上』
素晴らしい口上。
腹抱えて笑うところもちゃんとありながら、太福さんは国本武春の名前をしっかり出し、喬太郎師の優しさも全開。
やはり、泣いていた貞寿先生、司会たけ平師が顔を上げさせなかった優しさ。
●一龍斎貞寿『次郎長と伯山』
満を持しての貞寿先生の高座は、真打としての決意表明のような。
今日の「次郎長伝」が出来上がるまでに、こんなに沢山の人の手と、時間を経て、それでもって、やっと面白い講釈になってね、それが今に伝わっているんだ…ということを考えるとね、次郎長伝だけじゃなくて、古典講談全体に対しても、本当に有難いっていう気持ちになってきます。
長い年月と、沢山の人の手が、一つの話を珠のように磨いて磨いて、今日に残っているのだから。
勿論、わかっていたことではありますが、この「次郎長と伯山」を読むにあたって、改めてその思いを強くしました。
沢山の講釈を残してくださった歴代の講釈師の先生方に本当に頭が下がります。
本当に、ありがとうございました!
思うのですが、大衆芸能というのは、一人で作るものじゃない。
先達たちから引き継ぎ、同時代の芸人たちとして客との共同作業でこしらえ、磨かれ、伝えられるもの。
松廼家京伝から三代目神田伯山へと伝えられた次郎長伝の物語。
これを読む貞寿先生も、講談という大きな芸の流れのなかで、作り、広げ、楽しませ、繋いでいく。そういう役目をしょっている。
それは落語・たけ平師も浪曲・太福さんも同じ。
そんなことを考えながら聴いているとこれはやはり泣けてくるのですよ。
扇が三つ重なることで、見えてくるものがあるのです。
これを読む貞寿先生も、講談という大きな芸の流れのなかで、作り、広げ、楽しませ、繋いでいく。そういう役目をしょっている。
それは落語・たけ平師も浪曲・太福さんも同じ。
そんなことを考えながら聴いているとこれはやはり泣けてくるのですよ。
扇が三つ重なることで、見えてくるものがあるのです。
それにしても、ここまで他の芸人に「この人は講談が好き」って言われる人、そして愛される人は他にいるのだろうか。
客席にいるだけで幸せになれる、そんな披露目でした。
コメント一覧
1. Posted by ますめっど 2017年09月20日 13:49
講談とか聴いていると、伝え継がれて磨かれて来た というのを強く感じますね。
話の成り立ちからして、素晴らしいエピソードなんだけど よく調べたら「これ誰の話やねん」ってのも多くあります。 これはワタクシの想像なのですが、あまり有名でなかった人のエピソードを親しみやすい人に置き換えて語られたんでわと。赤穂義士伝の「赤垣源蔵 徳利の別れ」のモデルの赤埴重賢には兄も居なく酒も飲めなかったらしいです。
話の成り立ちからして、素晴らしいエピソードなんだけど よく調べたら「これ誰の話やねん」ってのも多くあります。 これはワタクシの想像なのですが、あまり有名でなかった人のエピソードを親しみやすい人に置き換えて語られたんでわと。赤穂義士伝の「赤垣源蔵 徳利の別れ」のモデルの赤埴重賢には兄も居なく酒も飲めなかったらしいです。
2. Posted by 4k
2017年09月20日 21:18
最たるものは森の石松ですよね。「三州の石松」と「豚松」をもとにして伯山が創造したらしいですから。それだけに魅力的なキャラです。「江戸っ子だってねえ」は虎造だそうです。