2010年06月27日
小沢健二ライブ『ひふみよ』
なんだか10数年ぶりのライブとか言うと同窓会みたいで、でもふつうの同窓会と違うのはちゃんと蛍の光を歌って卒業した訳じゃないってことで小沢は。まあ、ひとりだから解散コンサートもできないけどさ。
とにかくまあ『ライフ』と一連のシングルで日本中にオザケン旋風を吹き散らかした小沢健二は、その後も優れた作品を発表したものの、ここ数年ほとんど失踪状態だったわけで
カウボーイ失踪。
そんなやつから同窓会出席の返信はがきが来たら、幹事としては期待と不安でいっぱいでしょ普通。幹事ってなんだよ。
どう考えてもチケットとれないだろうと諦めていたら妻があっさりと定価で確保。何という強運。偉い。
http://hihumiyo.net/
で、ライブの様子ですが。
客電(客席の照明な)が消え、ステージ照明がついてライブが始まる、のかと思ったらアラびっくり、漆黒の闇の中で演奏がスタートする。これは本当に生演奏なのか録音した音を流しているのかも分からない。まあ生だとは思うが、何しろ奴は失踪していたわけでね。
で、この演出はニューヨークの停電をモチーフにしたということが、続くポエトリーリーディングで明らかにされる。ホールの中はまだ闇だ、でも熱気が膨らみ始めている。
二曲目も闇の中でスタート、おいおい引っ張るなと思ったら曲の途中でパーンと照明が点く。ものすごい眩しさ。
熱を帯びた、まっすぐな声質は変わっていない、いや、やや太くなったか。ときどきピッチが危なかっしくなるのも変わっていない。
遠くまで旅して、帰ってきたオザケン。おかえりい!
「元奥さんと娘さんがお見えになっています。この曲を青木達之さんに捧げます」
と『天使たちのシーン』。ちょっと歌メロを変えていて、ますます危なっかしい。ギターソロもたどたどしい。でも気持ちは伝わる。
良さが失われていないことにほっとする。嬉しい。
この後もときどきポエトリーリーディングを挟みながら、なんとまさかのスチャダラパー共演ブギーバックまで『ライフ』と王子様時代のシングルを中心に見事なパフォーマンスを見せてくれた。あの細腕でねえ。
アンコールの『愛し愛されて生きるのさ』で見せたアコースティック・ギターの強烈なカッティング(これはほんとうまい)に乗せた間奏のポエトリーリーディングはほんとうに見事で『流れ星ビバップ』同様に小沢でしか作れない強烈なグルーヴが、もうたまんなかった。
そんで、思ったんだけどね。
今回のライブは『ライフ』収録作品の、異常なまでのパワフルさ、クォリティの高さを見せ付けるものだった。それをちゃんと小沢のミュージシャンとしての実力の高さも改めて認識することができた。
『ライフ』の頃の小沢健二は、そりゃあもう凄かった。
出す局出す曲チャートイン。
フリッパーズ・ギターなんて知らない、先月までジャニーズが大好きだった少女たちまでオザケン王子に夢中になった。
それはまさに「オザケン現象」という旋風だった。
『ライフ』を引っさげて行われたツアー『VILLAGE』の日本武道館、そのただならぬ熱気を僕は覚えている。
太く柔らかなアナログ卓の音に絶妙のリズムセクション、丸く暖かいスカパラホーンズのラッパにハープ、そして服部隆之率いるストリングス。
幸せが火の玉になってホールの中を転げ回っているようなステージ。
ひたすら過激だった。
大ヒットアルバム『ライフ』は、実は非常に過激なテーマをしょってる。
「恋愛における高揚感は素晴らしく、それで人生乗り切れる。男の子でも」
男の子でも、というのがポイント。こんなことをテーマに選んだ「アーチスト」はたぶんいなかった。みんな欲しいだの切ないだの寂しいだの、まあだいたいそんなことを言っていた。
男の子が恋愛でワクワク
なんて恥ずかしくて言えなかった。田原俊彦じゃあるまいし。
小沢は果敢に挑戦した。そして「ワクワク」という高揚感を表現することで、「悲しみで胸がいっぱいでも、続いてくのさデイズ」(ラブリー)と、人生そのものを肯定して見せた。ここは田原俊彦とは違うわけで。
その後『球体の奏でる音楽』とシングル、沈黙の後の『Electic』と、小沢はクォリティの高い作品を生みだしてきた。インストロメンタルのコンテンポラリージャズアルバム『毎日の環境学』も悪くない。
しかし『ライフ』の高揚感を上回るパワフルな作品とはいえない。
おそらくその後の長い沈黙は『ライフ』を超えられないというジレンマと関係がある。
セールス云々ではなく『ライフ』の過激さに匹敵するモノが見えなかったのだ。
今回、なぜカムバックしてきたのか。その事情は知らない。
しかし、今年2010年は彼が帰ってくるにはとてもふさわしい年のような気がする。
発表時よりむしろ、まさに今この時代にこそ、小沢の過激なまでの人生を肯定する姿勢が、必要とされている。
なぜかそんな気持ちになるライブだった。
新曲『いちごが染まる』もなかなかよかったし、またアルバムを作ってくれないかなあ。あと若い人にも『ライフ』を聴いてみてほしい。
というわけで、もっとちゃんとしたライブレポート
●●●ぴょんの Pop Life●●●:小沢健二 ひふみよコンサートツアー NHKホール 6/10
ひふみよ イソヴィシャスロッケンロールダイアリー THE GREAT WEBLOG SWINDLE
で、この演出はニューヨークの停電をモチーフにしたということが、続くポエトリーリーディングで明らかにされる。ホールの中はまだ闇だ、でも熱気が膨らみ始めている。
二曲目も闇の中でスタート、おいおい引っ張るなと思ったら曲の途中でパーンと照明が点く。ものすごい眩しさ。
熱を帯びた、まっすぐな声質は変わっていない、いや、やや太くなったか。ときどきピッチが危なかっしくなるのも変わっていない。
遠くまで旅して、帰ってきたオザケン。おかえりい!
「元奥さんと娘さんがお見えになっています。この曲を青木達之さんに捧げます」
と『天使たちのシーン』。ちょっと歌メロを変えていて、ますます危なっかしい。ギターソロもたどたどしい。でも気持ちは伝わる。
良さが失われていないことにほっとする。嬉しい。
この後もときどきポエトリーリーディングを挟みながら、なんとまさかのスチャダラパー共演ブギーバックまで『ライフ』と王子様時代のシングルを中心に見事なパフォーマンスを見せてくれた。あの細腕でねえ。
アンコールの『愛し愛されて生きるのさ』で見せたアコースティック・ギターの強烈なカッティング(これはほんとうまい)に乗せた間奏のポエトリーリーディングはほんとうに見事で『流れ星ビバップ』同様に小沢でしか作れない強烈なグルーヴが、もうたまんなかった。
そんで、思ったんだけどね。
今回のライブは『ライフ』収録作品の、異常なまでのパワフルさ、クォリティの高さを見せ付けるものだった。それをちゃんと小沢のミュージシャンとしての実力の高さも改めて認識することができた。
『ライフ』の頃の小沢健二は、そりゃあもう凄かった。
出す局出す曲チャートイン。
フリッパーズ・ギターなんて知らない、先月までジャニーズが大好きだった少女たちまでオザケン王子に夢中になった。
それはまさに「オザケン現象」という旋風だった。
『ライフ』を引っさげて行われたツアー『VILLAGE』の日本武道館、そのただならぬ熱気を僕は覚えている。
太く柔らかなアナログ卓の音に絶妙のリズムセクション、丸く暖かいスカパラホーンズのラッパにハープ、そして服部隆之率いるストリングス。
幸せが火の玉になってホールの中を転げ回っているようなステージ。
ひたすら過激だった。
大ヒットアルバム『ライフ』は、実は非常に過激なテーマをしょってる。
「恋愛における高揚感は素晴らしく、それで人生乗り切れる。男の子でも」
男の子でも、というのがポイント。こんなことをテーマに選んだ「アーチスト」はたぶんいなかった。みんな欲しいだの切ないだの寂しいだの、まあだいたいそんなことを言っていた。
男の子が恋愛でワクワク
なんて恥ずかしくて言えなかった。田原俊彦じゃあるまいし。
小沢は果敢に挑戦した。そして「ワクワク」という高揚感を表現することで、「悲しみで胸がいっぱいでも、続いてくのさデイズ」(ラブリー)と、人生そのものを肯定して見せた。ここは田原俊彦とは違うわけで。
その後『球体の奏でる音楽』とシングル、沈黙の後の『Electic』と、小沢はクォリティの高い作品を生みだしてきた。インストロメンタルのコンテンポラリージャズアルバム『毎日の環境学』も悪くない。
しかし『ライフ』の高揚感を上回るパワフルな作品とはいえない。
おそらくその後の長い沈黙は『ライフ』を超えられないというジレンマと関係がある。
セールス云々ではなく『ライフ』の過激さに匹敵するモノが見えなかったのだ。
今回、なぜカムバックしてきたのか。その事情は知らない。
しかし、今年2010年は彼が帰ってくるにはとてもふさわしい年のような気がする。
発表時よりむしろ、まさに今この時代にこそ、小沢の過激なまでの人生を肯定する姿勢が、必要とされている。
なぜかそんな気持ちになるライブだった。
新曲『いちごが染まる』もなかなかよかったし、またアルバムを作ってくれないかなあ。あと若い人にも『ライフ』を聴いてみてほしい。
というわけで、もっとちゃんとしたライブレポート
●●●ぴょんの Pop Life●●●:小沢健二 ひふみよコンサートツアー NHKホール 6/10
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