2009年03月22日
主体化は罠
主体性が大切なんてことを言う。
主体化ってのは、ほんとに罠だよ。正論原理主義と同様の罠。
主体化=体制への服従だね。
Subject
「自分探し」も、強要されているわけ、権力構造に。
自分なんかわざわざ探さなくても、すでにいるだろうに。
死んでなきゃさ。
自分のことがよく分からないって、何で分かる必要がある?
分かるより生きるほうが大切だろうに。
個性を大切にとか自分の意見を持てとか、そういうの、罠だから。
自分で選んだわけでもない、たったひとつの名前を背負わされて、
ほら自由をやるよ民主主義だよ意見を言えよ態度を示せよという強要で、体制への服従を強要されているわけ。
賛成でも反対でも、どんな意見を言っても一緒だ。態度を表明しなきゃいけなくなった時点で服従を強いられてんのよ。権力構造に。
まあ、今の社会を生きる上で、こうした体制からは逃げるのは無理だけど、なんとか必要最小限にとどめたいもんだ。
主体化の強要に対して「野暮」のひと言で片付けよう。
無理に背負わされた「自分」なんて、どろどろに溶かしてしまおう。
名無しさんで粋な発言をしよう。
分かんなかったら落語を聴こう。『粗忽長屋』『粗忽の使者』を聴こう。
なんとかならあね。
…危険思想なのかねえ。